被写界深度の計算に出てくる要素、許容錯乱円径。
 このパラメータは一般的に35mm判で0.03mm、あるいは1/30mmとされることが多い。私はデジタル時代になった今も基本的にはこの数字のままで問題ないと思っている。
 しかし、この数値の妥当性に疑問があるのか独自の定義をしたがる人がいる。その中でも「許容錯乱円径 = その機材で再現できる限界の解像度」という考え方をたまに見る。
 曰く、「許容錯乱円径は撮像素子の「画素ピッチ」または「エアリーディスク径」の大きい方で決まる」、「プリンタの出力解像度から逆算して決まる」といった具合だ。
 これは明確に間違いである。

 ボディの画素ピッチが許容錯乱円径となると考えよう。
 まず、画素ピッチが違うカメラとしてα7SII、α7RIIIのセンサーサイズ、画素数を記載する。
α7SII:35.6×23.8mm、1240万画素
α7RIII:35.9×24.0mm、4360万画素
 これらの画素ピッチは計算すると以下になる。
α7SII:sqrt(35.6*23.8/12400000) = 8.3μm
α7RIII:sqrt(35.9*24.0/43600000) = 4.4μm
 さて、この画素ピッチがそのまま許容錯乱円径になると仮定しよう。
 50mm F1.4、ピント位置10mの条件での被写界深度は
α7SII:931mm
α7RIII:493mm
 となる。(なお、レンズは無限の解像力を持つと仮定する)
 おかしいと思わないだろうか。同じレンズ、同じ絞りで、ボディが違うだけで被写界深度が倍ほど違う。
 それもそのはず、これは被写界深度ではなく「1px単位で解像する範囲」を示しているだけなのだ。これが意味を持つのは写真をモニターにドットバイドットで表示したときくらいである。その状態では画素数の多いα7RIIIのほうが1.8倍ほど大きく引き伸ばしており、比較条件に大きな違いがある。当然、同じ大きさで鑑賞するならば被写界深度に違いなど出ない。

 次にレンズの最小錯乱円径が許容錯乱円径になる場合だ。(私の見た原文ではエアリーディスク径とされていたが、エアリーディスクは収差を考慮しないF値のみで決まる値であり、写真用レンズでは小絞りボケを生じる大きなF値でしか意味はない。現実には収差の影響があるため最小錯乱円径とするのが正しい)
 こちらは更に意味がない。
 まず「最小錯乱円径 < 画素ピッチ」では原文通り画素ピッチしか意味を持たず、その場合は前項に示すとおりとなる。
 逆に「最小錯乱円径 > 画素ピッチ」の場合、その最小錯乱円径となる範囲はピント位置のみである。少しでも前後すれば像面の錯乱円は最小錯乱円径よりも大きくなる。この考えでは被写界深度は厚みを持たない平面となり、深度もクソもない。

 ではプリンタの解像度からの逆算ではどうか。
 写真用プリンタとしてPIXUS PRO-10Sのスペックを見てみよう。最高解像度は4800×2400dpiと記載されている。そこで低い方の解像度である2400dpiで考えよう。
 写真をA4に印刷すると仮定する。A4用紙は210×297mmであり、これに24×36mmの35mm判撮像面で撮影した像を一杯に載せるとすると拡大率は8.25倍となる。(用紙上下には余白ができる)
 2400dpiを画素ピッチに換算すると約0.01mmとなる。これを35mm判の像面で考えるために8.25で割ると、像面での画素ピッチは約0.00128mmである。これは35mm判で5億2500万画素となる画素ピッチだ。A3で計算すれば10億画素。いかにアホなことを言っているかわかるだろう。

 では、許容錯乱円径とはどのように決まるのか。これには明確な正解はない。
 しかし一つの指標としてCIPA(一般社団法人カメラ映像機器工業会)の規格内にある記述を紹介しよう。

CIPA DC-011 デジタルカメラの手ぶれ補正効果に関する測定方法および表記方法: ホーム(概要)
http://www.cipa.jp/image-stabilization/index_j.html

写真の世界では、いわゆるボケの判定をおこなうとき、「錯乱円径」を用いることが多く、ボケやぶれが判別できない最も大きな錯乱円を「許容錯乱円」と呼ぶ。許容錯乱円の大きさは、鑑賞する写真の大きさや鑑賞距離、算出根拠等により異なる数値となるが、一つの例として、35mm フィルム上で 31.4μm というデータ*1 がある。
*1) 世界で最もポピュラーなポストカードサイズの写真を鑑賞する際、目と写真の間の平均的な距離は 450mm 程度とされている。この場合、視力 1.0 の人が判別できる 2 点 間の最小距離[μm]は、
 tan(1/60)×450×1000/4.16 = 31.4
である。ここで 4.16 は、ポストカードサイズと 35mm フィルム 1 コマの対角長の比(180/43.3)である。

 とされている。一般的に言われる0.03mm、1/30mmとほぼ同じである。
 また、本ブログの過去記事でも同じように視力1.0を基準として算出したことがある。

被写界深度の計算、許容錯乱円径をどのように設定するか? | 五海里
https://illlor2lli.blogspot.com/2015/11/blog-post_25.html

 この記事ではA4以上の大きさに印刷した際に、それ以上近づいても意味がないギリギリの距離まで近づいた際に視力1.0の人間が判別できる大きさを算出した。
 結果は0.015mmと一般に言われる値の半分となった。これは許容錯乱円径の下限と考えていいだろう。

 過去記事にも書いたが、許容錯乱円径は出力サイズと鑑賞距離によって変化する。
 しかし、機材は関係しない。このような勘違いをしていた人はいかにナンセンスな考えだったかわかってもらえたのではないだろうか。

【追記】
 「許容錯乱円径は撮像素子の「画素ピッチ」または「エアリーディスク径」の大きい方で決まる」という意見が散見される原因と思われるものを見つけた。
 東芝テリーの資料に以下の記述がある。

知っておきたい撮影レンズの基礎
http://www.toshiba-teli.co.jp/products/industrial/info/t/files/t0005_Lens_Terminology_j.pdf
“許容錯乱円径”は撮像センサーの“画素ピッチ”,あるいは“エアリーディスク径”といわれるレンズの光学的な 結像限界で決まり,“画素ピッチ”,あるいは“エアリーディスク径”の大きい方が“許容錯乱円径”になります14。
14 日本インダストリアルイメージング協会技術報告書 “JIIA LER-006-2010: 焦点深度のパラメーター”による。

 ここに記載されている日本インダストリアルイメージング協会の規格でこの内容が謳われているようだ。そこでこの規格を調べてみたのだが、会員でないと閲覧できなかった。
 しかしこの規格番号で調べてみると東芝テリーの別の資料を発見した。

マシンビジョンにおける被写界深度の考えかた
https://www.toshiba-teli.co.jp/technology/technical/t0008-DOF.htm
写真業界では,デジタルカメラが主流である今日においても,銀塩フィルムと同様に,“ある大きさの印画紙にプリントし, ある距離において目視で鑑賞する”ことを前提とした許容錯乱円径の値が一般的に使われています3。しかしマシンビジョ ンでは,各画素のデータを用いて画像処理を行うことから写真同様に目視を基準とはできず,許容錯乱円径は撮像 センサーの“画素ピッチ”,あるいは“エアリーディスク径”といわれるレンズの光学的な結像限界で決まり,“画素ピッチ”, あるいは“エアリーディスク径”の大きい方が“許容錯乱円径”になります4。
3 例えば 35 mm カメラ相当のイメージサイズでは画面対角線の 1/1300 である 0.033 mmなど。この場合,画素ピッチについては考慮されない。

  要するにこの資料では「写真と画像処理目的では被写界深度の考え方は別」「写真目的ならば許容錯乱円径の一例としては0.033mmが一般的」ということが述べられている。
 確かに画像処理を前提に考えれば1px単位で解像している範囲のみを被写界深度とするのは妥当と思われる。が、それはあくまで機械で処理する場合の話であり、一般的な写真用途にまで敷衍するのは考えが足りていない。
 また、余談になるがこの規格自体もマトモとは言い難い。画素ピッチはいいのだが、エアリーディスクを基準にするのは問題がある。
 その理由はすでに書いたが、まずエアリーディスクはレンズの諸収差を無視した値であることが挙げられる。確かに規格として策定するにあたり最小錯乱円を基準とするとレンズによって値が変わるうえ、同じレンズでもピント位置によっても変化するため面倒である。エアリーディスクならばF値のみで一意に決まるため楽になる。しかし正しさはない。
 次に収差のない理想レンズであったとしても錯乱円がエアリーディスク径以下になる点はピント位置のみとなるため、被写界深度が厚みのない平面となることだ。
 いずれにしても許容錯乱円径の設定にエアリーディスクを用いるのは問題しかない。

 つまり画像処理前提の考え方を一般の写真に適用することがまず間違いであるし、そもそもこの規格自体考え方がおかしいということだ。
 世はミラーレス全盛期。大手二社を含めた各社がフルサイズミラーレスをラインナップし、SIGMAも来年にフルサイズミラーレスを出す。もはやミラーレスをラインナップしていないのはPENTAXくらいになった(現行品では。Qってまだ生きてたっけ?)。
 さて、ミラーレスは構造上常にセンサーで光を受けている。そのため、太陽を写したままの状態ではセンサーを焼いてしまう危険がある。実際にセンサーを焼いた例は検索すれば出てくるだろう。なぜか富士フイルム機とオールドレンズの組み合わせが多いようだ。
 ではセンサーを焼かないためにはどのようなことに気をつければよいだろうか。これに関しては誤った情報が堂々と流布されており、真に受けてしまうと高価なカメラを壊す危険性がある。ここで正しい情報とその理屈を解説する。

 結論から書くと、注意する点は
・実絞りならばできるだけ絞る
・ピント位置は近接状態とする
 の2点だ。
・太陽に向けたままにしない
・使用しないときはレンズキャップを付ける
 は言うまでもない。
 これはレンジファインダー時代は常識であったようだ。

 ではなぜこんな記事を書いているか。それはセンサー焼けを調べると「絞りは絞られている状態のほうが焼けやすい」などという大嘘が出てくるからだ。
 このような思考に至る理由は理解できる。「絞ると像がシャープになる = 光が一点に収束している = 焼けやすい」と考えたのだろう。光が一点に収束すると焼けやすいことは合っているが、絞りにより錯乱円が小さくなるのは違う現象だ。


 単レンズの出しっぱなしアンダーコレクションを例として挙げる。誇張して描いているが、レンズ周辺部を通る光は球面収差により近軸領域での焦点距離よりもかなり手前で収束する。この影響で像面での錯乱円は大きくなる。


 像面部を拡大したものと、開放での錯乱円を示した。(最小錯乱円及び最もコントラストが高くなるピント位置はこの図とは違うが、ひとまず近軸領域での焦点距離に像面があるものとして作図している)
 では、このレンズを絞るとどうなるか。絞りにより遮蔽される光束を灰色で示す。


 直径の半分程度(約2段分)まで絞った場合、右に示す錯乱円の直径はかなり小さくなる。確かにこれだけを見ると光が一点に収束したように見えてしまうが、それは間違いだ。単位面積あたりの光束の強度(照度)という視点が欠けている。


 レンズ周辺部を通過する光束は錯乱円の灰色で示す領域に照射されているだけであり、赤色の中心部の強度には寄与していない。つまり絞ろうが絞るまいが赤色部分の照度は変わっていない。むしろ、開放では周辺部も熱されるために最も照度の高い中心部から熱が逃げるのを阻害し、焼けるリスクを高める。
 また、この図はとりあえず球面収差がアンダーコレクションの例を挙げたが、フルコレクションやオーバーコレクションの場合はレンズ周辺部を通る光も錯乱円中心の照度を上げるのに寄与している。


 これが球面収差フルコレクションの概要図だ。赤丸の部分はレンズ最外周部の光束だが像面で錯乱円中心部を通る。そのため、絞ることによって錯乱円中心部の照度を下げてセンサー焼けリスクを低減できる。
 これは各レンズの収差設計によって変わるため一概には言えない。しかし全レンズに共通して言えることは「絞ることで像面へ到達するエネルギーの総量を減らすことができ、センサー焼けリスクを低減できる」ということである。

 「レンズ交換時に焼ける」という情報もある。レンズ交換によりバックフォーカスが長くなった状態で無限遠にある太陽にピントが合う状況は、レンズのピント位置がオーバーインフのときしかない。MFのオールドレンズであればオーバーインフにできないものが殆どであるし、そもそもセンサー焼けを気にするのであればピント位置は無限遠から外しておくべきだ。オーバーインフになるAFレンズでは関係あるだろうが、あまり気にしなくてもいいだろう。
 レンジファインダー機であったならば焼けるのはセンサーではなくシャッター幕であり、シャッター幕はセンサーよりも手前に位置しているためレンズ交換時に焼けるリスクは高くなる。しかしミラーレスには当てはまらない(EOS Rシリーズを除く)。
 また、太陽の輻射は波長約500nm(青と緑の間)をピークとする可視光の領域がほとんどであるため、「可視光が収束している = 熱も収束している」と考えて差し支えない。赤外領域が主になるような色温度の低い物体の輻射熱ではレンズ交換時のリスクは高くなるが、それでセンサーを焼くほどのエネルギーがあるかは疑問だ。

 「絞ると焼ける」という情報はレンズの原理など全く理解せずなんとなくの感覚で語っているだけの妄言である。効果がないどころかリスクを高めるだけの行為を、さも理屈上も正しいかのように語り推奨するのは無責任であり害悪と言っていい。
 この妄言を信じてセンサーを焼いても発言者が修理代を持ってくれるわけでもない。自分の高価なカメラを壊さないためにも正しい情報を得て、また各情報の妥当性を自分の頭で考えるようにしたいものだ。